久方ぶりに筆をとってみる。
最後の更新が終了し、データの消去を行ってから約半年が経過した。
豺狼の路はアンテナを除いてただ空白が広がっているだけにも関わらず、未だにアンテナの登録から外さない人間が多くいる。
不思議といえば不思議なのだが、おそらくその人間達は吾の言った事が吾と同じように捉えられていた人間、そしてただ面倒くさがっている人間、ヲチャーと呼ばれる人間の三種に大別されると思われる。
吾が今日更新を再開したのは不意の気分もあるが、それだけと言う訳でもない。ただその理由なぞは、他者にとってどうでもいい事であろう。
先刻の言葉、『吾の言った事が吾と同じように捉えられている人間』と言う言葉だが、これは持論である『文章や言葉を完全に理解できる人間は、それを発した人間だけである』という言葉を端的に表したものである。


以前の更新で同意した人間、反発した人間、ただ見ていた人間は、吾の文章を個々人各々がそれぞれの受け取り方で受け取っていた。
単語それ自体、文章それ自体を理解するのは、日本語を解せる人間ならばそれほど難しくはない。
言語そのものが難しければ辞書などで調べればよいし、言い回し等々についても調べればいずれは理解出来る。しかし、何の意図を持ってその文章が書かれたのか、何の意図を持ってその言葉が発せられたのかと言う事になると、理解出来ていると思った人間、理解するつもりもない人間の二者に分けられる。
ネット上だけで区切ってみても、単語一つの受け取り方だけで様々な論争が行われるように、発した言語、発した言葉は当人以外に正確に理解出来る者はない。
システム的な事を考えれば、ネットに設置されているhtmlとブラウザの関係に似ている。
今ネットを見ている人間の中で、あまりそう言う知識を持ち合わせていない人間は首を傾げる事になるのではないだろうか。


詳しく説明しよう。
インターネットのURLにアクセスした様々な人間が見ている物は、本来そこに存在する物とは違う物である。
htmlはhtmlで存在するが、それを見られる状態に組み上げるのは見ている側の端末にインストールされているブラウザが行っている事だ。
仮に外の光景を見て、東京であるならば近縁いずれかに高層建築の一つや二つは存在するだろう。その状態で見えている物は、同じ対象を見ている他の誰かにとっても同じ物だ。
先に記した知識のない人間に関しては、インターネットに繋がっているケーブルから、URLに存在しているビルを覗き見ている、もしくは双眼鏡で近くに見ていると言うことと同じだと思っている人間がいる。
実際にはそれは違い、URL、現実で言えば住所にあたるそこには設計図しか置かれていない。設計図を見たブラウザが、必要な材料を揃え、構築し、ユーザーに見せているのだ。
理解出来ただろうか。これ以上の説明が必要ならば、その人間はもう少し様々な知識を仕入れてから先の文章を読むことをお薦めする。おそらく理解出来ないであろうから。
ではそれらを踏まえた上で、文章や言葉の話に戻ろう。
発信者から発された文章や言葉は、あくまで設計図に過ぎない。それを文章や言葉として受け取るのは、設計図を意識的無意識的に構築して理解する受信者の作業になる。
そして設計図を見ても理解出来ない人間は文章や言葉が理解出来ない。
頭の良い悪いではなく、受信者の感覚的なものもある。
簡単に言えば、同じ物を見て喜怒哀楽の様々な反応をするような事だ。
理解出来ない事を恥じる必要はない。理解出来ないのは受信者にそれが必要ないからだろう。
例えば小学生に高等数学を教え込んだり、幼稚園児に応用物理学を言い聞かせるようなものだ。
必要であればいずれ覚える機会もある。必要がなければ覚えない。生きるために必要な知識は生きていればいずれ覚えるものだ。その他の知識は生きる上では必要のないものとされるだろう。


以前に吾がこの場所で更新していた文章は誰に宛てたものか、それは所詮我自身に宛てたものに過ぎない。
他者が読んで理解出来たように思えたのは、極論すれば錯覚に過ぎない。がしかし、錯覚ではないかも知れない。
それが判断出来る人間はいないし、それが判断出来るのなら人間ではない。
『人間は全て分かり合える筈だ』等という詭弁を吐く輩はその事は理解出来ないだろう。
何故なら上記の思想は、彼らのそれとは決して相容れないものだからだ。
吾がこの文章を書いた理由を考えようとする人間がいるだろう。その事を吾は止めることも勧めることもない。個々人各々が自由にすればいい程度の問題だ。


追記として、この豺狼の路が消えたとき、残念だと思った人間全てに感謝の念を送りたい。
吾の文章を読んで楽しんだ人間がいた事は、吾にとっても心楽しい事だからだ。
以降定期的に更新を行うかどうかは分からない。
モチベーションや時間などの問題もあるからだ。
ちなみに以前の閉鎖の理由は一つ、斬鉄剣でもダークマターでもない。コメント欄を荒らした誰かのために、更新の意欲が完全に削げた事だ。
もしあれが閉鎖を望む誰かの行った事なら、その意図通りに閉鎖に追い込まれたことになる。だがおそらく、行った人間にその意図はなかったと思う。
コメント欄は以前と同じように開放状態にある。以前と同じ事が行われたのなら、吾は無言で舞台から降りるだろう。敢えて言葉にする必要もないと思うが、阿呆の相手は好きにはなれん。
また、吾も以前の更新した際の文章は持っていない。
仮に持っている人間がいれば、サイトでリンクして教えていただきたい。
久方ぶりの更新は以上だ。