HAL:咲村那由他
http://www4.kcn.ne.jp/~zemu/


貴兄が謝罪する必要はなかろう。
レスポンスを求めたのはこちらの勝手でしかないのだから。
HNに関しては了解した。
先の文章を修正しておく。

『日本語で書かれている以上文章の意味は伝えられる、意図も文章に落とすことで伝える
ことが出来る』だったかと思います。
根拠については『文章が理解できるはずなのは日本語圏であること、意図が理解できるの
はお互い人間であることと比較的同じ文化圏であるから』だったかと。
文意は『あえて伝えない意図を作っている場合を除き、意図は伝わりえないと投げ出すよ
りも、あまねく書き手はできるだけ精緻に伝える伎倆を磨くべし』

10/18に記した文章の主旨は簡単な物で、『他者の記した文章を完全に理解する事は出来ない』と言う物だった。
それに対する明確で素早い反応が返っていたのだが、返答をする前に文章が消えてしまっていたため、不確定な記憶で反論すると言う行為が好きになれない吾は返答を避けていた。
本日確認した際レスポンスが確認されたので、返答を記す。*1


まず、

『日本語で書かれている以上文章の意図は伝えられる、意図も文章に落とすことで伝える
ことが出来る』だったかと思います。
根拠については『文章が理解できるはずなのは日本語圏であること、意図が理解できるの
はお互い人間であることと比較的同じ文化圏であるから』だったかと。

と言う部分だが、基本的に文章を書く際に精緻な文章を記す場合、他人に文章を見られる事を前提に行うと思う。
本人しか見ない前提の文章であれば、大抵の人間は精緻に文章を書く事はない。
自らを顧みて、メモ書きや走り書きなどは時間がない事も往々にしてあるが、それ以前の段階としてそれほど詳しく書く事はあまりない。
絶対に必要な情報であれば、最小限度だけでも正確に記そうと思うが、さほど重要でない情報に関しては正確に記す事が少ないのではないか。
良くある事だが、そのままメモ書き等を紛失して暫く後でそれを見た時、自らが書いた物であるにも関わらず、どんな意図でどんな情報を記したかったのか分からない事がある。
当たり前の事だが、これは全ての人間に当て嵌まる事ではない。ただ、少数意見とも言い切れないだろう。
また、ここで言う精緻とは、無論その文章を理解する為の前提情報の提示に当たる訳だが、本人しか見ない前提であれば、理解する為の情報を記す必要はない。
更に他人が見る際でも、結論単体で事が足りる程度の簡単な文章の場合は精緻に文章を記す事はないだろう。
他に精緻な文章が必要ない状況としては、文章以外の部分で前提情報が提示されている場合がある。
簡単な例で言うと、雑貨屋等の店舗では値札が張ってある物は商品だが、張っていない物は商品ではないと言った事だ。
だがネット上の文章、特に個人サイトと言う括りの中では、他人同士が見る事が前提であるだろう。
その為何らかの意図を持って長文を書く場合には、大抵精緻な記し方をする。
それによって文章の意図や主旨を伝えやすくしていると思えるが、記された意図は本当に当人が記したかった意図なのかを判断する事は他人には不可能だろう。
屁理屈じみているが、誰かが本当の事だと叫んだ事が真実かどうか、そしてそれが当人の心理的なものであるならば、当人以外の人間はそれを信じるか信じないかの選択を迫られる(無視すると言う選択肢もあるが、今回は除外する)
そうして考えた場合、吾はそうまで自らをさらけ出す事はしない。
他人がそうであるかどうかではなく、吾はと言う限定の上でだが。
出会えば分かると言う人間もいるが、一度や二度会って話した程度でその人間の全てが分かる筈もない。
まずその人間が当人以外のキャラクターを演じているのかいないのか、演じているのは意識的か無意識的か、その人間の基礎となっている精神構造を見抜けるか、見抜けたとしてそれが真実か否か、そう言った考えを以て、吾は他人の文章の意図や主旨などを本当に理解出来るのは、文章を記した当人だけだと判断している。
記された意図を信ずるか否かは、吾は吾の判断に頼る。
他者がどうしようかは自由だが、思考の一パターンとしては無駄なものではないと思う。
また、日本語圏だから文化圏が似通っている。よって意図を推し量る事は難しくないと言う部分だが、『常識と言う言葉の軛』に捕らえられてはいないだろうか。
法や制度で示されていない常識は、所詮は個々人各々の常識に過ぎないと言う意味合いでだ。

文意は『あえて伝えない意図を作っている場合を除き、意図は伝わりえないと投げ出すよ
りも、あまねく書き手はできるだけ精緻に伝える伎倆を磨くべし』

この部分に関して言えば、伝えようと思っている意図、もしくは伝えようと思わせたい意図を伝える為に必要なのは、精緻な文章力、文章の技量ではなく、断定的な表現ではないだろうか。
これは勿論文末を言い切る表現のみにするという意味だけではなく、零か一かと言うような文章の作りが出来るかどうかに過ぎないように思える。
そしてあえて伝えない意図があるのではないかと読者に考えられた瞬間、正確に意図を伝えるという意味では、その文章の記された意味はなくなるだろう。

…余談ですが、HALは前身を含めると4年くらい運営してたり。

この部分に関しては完全に意図が読みとれなかった。
あくまで仮定として考えるのならば、吾よりも遙かに長い時間サイトを運営しているのだから、吾に間違っていたと言わせたいと言うもの、また完全に余談なので先の文章とは全く別物として考えるべきだと言うもの、過去ログはないが運営は長いと言う示威的なもの、その以前の文章が反論である事から箸休め的なもの等々。
重ねて言うが上記仮定は断定的なものではないし、咲村那由他氏を誹謗中傷する意図はない。
これは上記部分に補足的な情報が与えられていない為に起こる事でもあるが、仮に前提情報が与えられていたとしても、読者が想像する書き手の意図は様々にあると言う例にすぎない。


返答は以上だ。

*1:引用内の改行はこちらで加えた。問題があれば訂正する。